大正13年10月29日
10月29日(水曜日)、午前8時出勤。
本日も藤田町長は風邪のため欠席し、その代理事務を取扱った。
来る11月11日午後1時に上野公園自治館内において、臨時関東連合大会開催の通知を受けた。11月5日までに全国町村長会事務所へ出席の有無を知らせるようにとのことだった。
午後2時に水道測量師が来場し、来る11月2日から実測をすること、測量杭1寸角1尺100本、5寸200本が必要であることを町長に伝言するよう依頼があった。
午後2時半頃、大磯駅長より停車場の町設電灯位置の件について相談があり、急ぎ建設することになった。
午後4時に退庁した。
解説
関東大震災時、上野公園には約50万人の避難者であふれました。区役所が焼失したため、上野公園自治館を仮校舎にし、会館前で炊き出しや食料の配給が行われました。公園周辺は焼け野原となり、公園が災害時の避難場所として見直されるきっかけとなりました。西郷隆盛像は震災で崩壊することなく、目印の場所として利用され、また、像の周りには人探しの張り紙がたくさん張られました。100年前の当時、上野は東京の中心でしたので、復興も早かったようです。今日は、震災1年後の自治会館で大きな大会が開かれるようで、その通知を受けました。
更新日:2024年09月15日