大正14年7月24日
7月24日(金曜日)、午前5時半出勤。
本日は海水浴場委員視察のため、午前6時51分大磯駅発の汽車にて、宮代師子・鈴木儀兵衛・柳田勇次郎の3名は千葉県北條勝浦方面に出発した。三浦方面へ視察の真壁・山梨・小見助役の3名は、天候不良のため本日の視察を見合わせた。天候が回復したら、出張する予定である。
午前9時頃、宮代町長は高麗水源地と火葬場改築場所へ調査のため出かけた。
午前11時頃、建築設計技手の渡辺元四郎氏が小学校へ来られ、設計費用の件について校長と助役に相談をした。種々相談した結果、来る28日に予定通り学務・土木両委員会を開催することになり、当日渡辺氏にもご出席いただくことになった。松月弁当を召し上がっていただき、横浜に帰られた。
本日は平塚女学校長の代理が来場し、生徒の海水浴が無事終了したことの挨拶とお礼を、町長と助役に伝えた。
本日、町長は火葬場階段設置費用を70円で鈴木瀧三郎に請け負わす契約をした。
午後1時頃、曽根田恭男氏が来場し、宮代師子に対する公開状の件について町長に意見を求めた。来る26日午前10時26分に来磯の予定である。
午後1時半に退庁した。
解説
本日もお天気は回復していませんでしたが、千葉県勝浦方面の海水浴場視察団の3人は早朝に出発しました。勝浦は古くから漁業が盛んで、風光明媚な海水浴場としても有名だったようです。災害後の大磯海岸の復興工事を始めるにあたって、参考となる視察の候補地として選んだのだと思います。大正14(1925)年は、震災で被害があった復興工事が次々と行われています。町長や小見助役をはじめとする職員、各委員たちは協議することが多く、会議で忙しい日々が続いています。























更新日:2025年07月08日