大正14年7月21日
7月21日(火曜日)、午前7時40分出勤。
本日から暑中休暇の一環として半日勤務となる。
午前9時頃、高麗区長の片野才一氏が来場し、上水道水源地の件について町長に面談を求めた。午前9時半頃一旦退場し、再度説明をもらうこととした。
本日、水道職工2人が三重県より来磯した。小巻の人足の2人も加わり、予定地(日枝神社の所有地)で試掘する予定だったが、大字高麗からの苦情があり工事を中止した。高麗の住民一同が来場して町長と土木委員らと種々協議した結果、試掘の場所を変更することになった。高麗古花水付近の曽根田氏の地所へ変更し、明日22日から試掘する事となった。
午後1時から、海水浴場開き余興費の精算をした。
午後2時半頃、月貫道路の拡幅した箇所と海岸までの階段の開通式があった。町長と助役、長島主任書記が式典に参列した。弁当での饗応があった。
本日、大字西小磯西柳原海岸へ死牛が漂着した。検視した上で火葬を行った。
午後6時に退庁した。
解説
今日から夏時間による半日の勤務となりましたが、来場者や諸問題の対応のため、小見助役の帰りはいつもより遅い午後6時でした。
また、水道の専門職工が三重県から来磯したにもかかわらず、試掘場所の変更により本日の工事は中止になりました。変更地の高麗古花水付近とは、花水橋を渡った平塚寄りの一帯を指します。「古花水」という地名のバス停が今もあります。現在、丹沢山を水源とする金目川の下流を花水川と呼んでいますが、江戸時代は流路が大きく違っていました。それを古花水川と言います。現在の平塚市民病院近くの達上ケ池を通り、南下し旧東海道を超えて平塚撫子原から海へとつながっていました。花水川近辺の地図を見ると、大磯町高麗と平塚の境界線は複雑に入り組んでいます。これは、かつての古花水川の流路に沿って境界線となったのが理由です。























更新日:2025年07月08日