大正14年7月3日
7月3日(金曜日)、午前8時10分出勤。
本日出勤前に、憲兵隊1名と会計調査1名が来場した。憲兵隊震災保護のため建築した憲兵隊建物の無償払下げを受け、小学校補助工事に使用した調査を行うため、現場ヘ出張された。
午前10時頃から海岸に出張し、浴場掃除とその他浴場開きにかかる余興等の件について、鈴木・真壁の実行委員と渡辺書記と共に協議を重ねた。禱龍館に弁当その他を注文し、一時帰場の上、町長に復命した。
本日、大正14年に至る、本年度小学校低利資金38,300円の借受金が入金されることになっている。来る6日の月曜日に収入役が県へ出張し、借入れる予定である。
午後0時30分、宮代町長と共に、村井別荘に吏員を代表して中元贈物の謝儀に出かけた。午後1時10分に帰場した。帰場途中、山王町区長代理の高橋久七長男死亡につき、町長と共にお悔みをした。
午後3時、愛甲郡南毛利村長の牧田千代太郎が来場し、元厚木税務署庁舎譲り受けの件について、宮代町長に面談された。午後3時半頃に退場された。
本日、渡辺書記は、終日海岸に出張し、余興設備に従事した。
午後4時10分に退庁した。
解説
今日は、小見助役が出勤する前に、憲兵がやってきました。2年前の大震災直後、治安維持などのために憲兵隊が町に駐留しました。宿舎として設置したバラックを、彼らが撤退する時に町は無償で払下げを受け、小学校の仮校舎として転用しました。その様子を確認しに来たのでしょう。
午前中は、昨日に引き続き、海水浴場開きに向けての準備に忙しかったようです。午後は、村井別荘に御中元を持参して謝辞を伝えています。村井別荘は、煙草王と呼ばれた実業家・村井吉兵衛の別荘のことと思われます。東町に広大な敷地を所有しており、敷地の花畑を開放するなど、近隣の町民との交流もありました。このような別荘への謝辞は、華族・政治家・実業家の別荘が多数あった、当時の大磯ならではの特徴と言えるでしょう。
更新日:2025年06月04日