大正14年6月28日
6月28日(日曜日)、午前7時出勤。
土木委員を役場へ召集し、山中技手から水源地試掘の件について説明を受け、種々協議を重ねた。宮代町長・助役・鈴木・小島栄・宮代喜・山梨・安部川・中西の9名が出席した。高麗水源試掘地を実地踏査した上で、山中技手に計画を依頼することになった。来る7月12日・13日頃から試掘を始め、山中技手に費用の一切を見積もってもらうことになり、午後4時に散会した。会用に松月へ、昼食として上弁9本、三引屋へ1円分の茶菓子を注文した。試掘費は技手約240円(月180円・手当60円)、人夫2人(月100円)、技手(実費・旅費として宿泊料4円)となった。人夫も出張旅費・食料・宿泊料を支払う予定である。その他材料および機械等は全て町が支払うこととなった。
午後4時半頃、小学校建築技手渡辺元四郎氏が来場し、町長に面会を求めたがすぐに退場された。
昨日、帝室林野局池田秀吉氏が役場に来られた。町長・助役不在のため、名刺を置き帰京された。用件は元御料局大磯出張所敷地を踏査する件であった。
午後4時半頃に退庁した。帰宅の途中に宮代町長と共に池田成彬氏の別荘に訪問し、町長の新任の挨拶をした。
解説
前から持ち上がっていた水道計画の場所は高麗地区です。高麗水源試掘地とはどこなのでしょうか。高麗山の地下水は流れが変わってしまうことがよくあります。安定的な水源地となる場所はどこなのか助役日誌では詳しく書かれていません。今後の工事の結果を見守りたいと思います。
池田成彬は、大正6(1917)年に西園寺公望から譲り受けた土地と木造茅葺の建物を別荘としていました。大正12(1923)年の関東大震災で被害を受けたので、大正13(1924)年に西園寺から譲られた建物を取り壊し、11.5坪ほどの茅葺住宅を新築しました。昭和7(1932)年に地震に強い鉄筋コンクリート造りの洋館を建てました。それが現在、明治記念大磯邸園で再建工事をしている洋館です。今日は、大正13年に新築した茅葺の小さな居宅に、宮代町長が挨拶に訪れたようです。
更新日:2025年06月06日