大正14年5月23日
5月23日(土曜日)、午前7時40分出勤。
本日、中西町議から昨日の県への出張について報告があった。大磯町長宮代新太郎氏は認可され、認可証を受け取ってきたとのことだった。すぐに本人には22日付での結果を通知した。
本日吏員並びに教員の給料を支払った。
午後1時頃、月貫道路拡張のための敷地買収の件について、真壁時次郎氏の自宅を訪問した。有志と相談をしたいとのことで、真壁氏の自宅をあとにした。途中、岩田氏と他2名に報告し、後日、安部川彦造氏と懇談する事となった。
帰宅の途中、宮代新太郎氏の自宅を訪問し、町長認可の祝詞を伝えた。
午後2時半頃に帰宅した。
解説
昨日、新町長認可の手続きに県へ出張した中西議員から、認可証をいただいたことの報告を受けました。すぐに、宮代氏へ通知し、小見助役は帰宅の途中、宮代宅を訪れお祝いを伝えました。
宮代新太郎氏は、2度目の町長職です。前回は、明治38(1905)年4月~明治40年(1907)年10月まで町長を務めました。その当時は初代・5代・7代・10代内閣総理大臣を務めた伊藤博文が大磯に自邸を構えていました。当時の伊藤は総理を退き、初代韓国統監として活動していました。伊藤をはじめ東小磯や西小磯に別荘を持つ政界・財界人たちは、自宅へ帰る時は、大磯駅から愛宕山裾の細い道を通らなければならず、とても不便でした。そこで新しい道として、線路沿いを西に行き、現在の「ゆめのちかみち」から国道へ通じるL字型の新道(約500メートル)を計画しました。明治40年8月18日に開通式を行い、最初の通行人は韓国から帰った伊藤でした。この道路に「統監道」と名付けたのが、当時の宮代新太郎町長です。
更新日:2025年05月01日