大正14年5月13日
5月13日(水曜日)、午前7時40分出勤。
本日、町会告示並びに郡長に通知した。
午後から、渡辺書記は、やむを得ない家の都合により早退した。
午後0時30分、長島書記と共に、病院道の崩壊箇所へ倉知氏を同行して実地踏査をし
た。3尺の土管を10間程使用する必要がある。
午後3時半に帰場した。同時に山田技師が来場し、水道設計書を提出された。設計書は助役が預かった。
午後4時20分退庁した。
解説
3尺の土管は、直径が約1mもある土管のことで、当時製造するのは困難であったと考えられます。また、相当高価であったと思われます。その土管を10間、約18m分ということは、10本から20本は必要だったと考えられる大きな工事であったことがわかります。
更新日:2025年04月15日