大正14年4月30日

更新日:2025年03月29日

4月30日(木曜日)、午前8時出勤。

本日、加藤収入役が出勤したので、出勤早々、28日・29日両日分の収納金を全て渡した。

本日、小巻氏に請負金の内、金1500円を渡した。

本日、午後8時3分大磯駅発の汽車にて、前岡田町長は郷里の三重県志摩郡ヘ出発するとのことだった。

来る5月29日中郡役所において、海軍検閲点呼を、8月28日には徴兵検査を執行するとの通知があった。

午後4時に退庁した。

午後7時頃、前岡田町長の自宅を訪問し、お別れの挨拶を述べた。渡辺議員とともに同行し停車場へ向かった。大磯駅ではたくさんの人が見送りに来ていた。午後8時3分発の汽車に同乗して国府津駅まで送った。国府津駅で下車し、乗り換えのため駅前の旭待合所にて休憩した。前岡田町長は二等急行に乗車し、郷里へ帰省した。午後9時18分発の汽車にて帰宅した。

解説

前岡田町長は辞任を表明してから、5日後には大磯を離れることになりました。あわただしく郷里へ向かう岡田氏も、この数日間は多忙だったことでしょう。午後8時3分の大磯駅発の列車には、小見助役と渡辺議員が同乗し国府津駅まで見送りました。大磯駅では多くの町民が見送りに来ていて、岡田氏とのお別れを惜しみました。

海水浴シーズンは大磯駅にも急行が止まりますが、この時期は国府津駅で乗り換えです。当時の東海道線は、国府津駅から御殿場回りでした。現在の小田原から熱海経由になるのは、昭和9(1934)年のことです。熱海駅から函南駅間の伊豆半島を貫く丹那トンネル工事は、大正7(1918)年から16年間に及び、崩落事故や土砂崩れなどの事故が多発し、死者67名が犠牲になった工事でした。

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