大正14年4月6日
4月6日(月曜日)、午前8時20分出勤。
昨日曜日、午後4時半頃、池田成彬氏の別荘を訪問した。西小磯・東小磯境にある、薩摩別邸と池田別邸との間に介在する道路拡幅の件について面談した。池田氏の話では、「長谷川某氏より買い受けた土地であるので、充分に取調をして欲しい。その上で、何とかしたい」と申されたのでそのまま帰宅した。
本日は、戸籍謄本事務に従事した。
本日、田畑一反歩収穫とその他の件について、勧業銀行に応答をした。
本日、町長より旭村長並びに耕地整理組合宛てに照会をした。
午後4時に退庁した。
帰宅途中、李王職の岡田伊助氏を訪問した。震災当時の御寄送金の謝状呈上の件について了解を聞いたところ、承知された。謝状は、麻布区鳥居阪・李王世子殿下事務員・伯爵高義敬宛にお差出し願いたいとのことだった。
同時に、田中亀太郎を訪ね、病舎道の電柱として末口4寸、丈25尺の大きさの木材を8本注文した。
帰宅後、梨本宮殿下の執事を訪問し、謝状の件を聴取したところ、4、5日に殿下のお越しを待ってお話しするつもりとの事だった。すぐに帰宅した。
[照会の内容について]
新設道路幅の縮小に関する件と、貴村大字高根・山下地先より東方堤塘に至る新設道路縮小に関し、3月30日付、旭発第69号を以て、ご回答いただいたことについては、一応了承致しました。
本件について、今日に及んで貴村と当町とで甚しく見解を異にしていることは遺憾に思っております。去る2月23日、当町助役と浅沼町会議員が、貴所に出向き、交渉しました。その要点を簡潔に言いますと、むしろ、石橋より堤塘に至る着手中の道路幅を、9尺に縮小して頂きたいということでした。当町高麗区における貴村耕地整理事業に対する最初からの不了解は、実にこの点にあります。堤塘及びその東南に属する貴村道路の新設延長に対しては、従たる関係を有し、ほとんど本件交渉とは別問題であります。
また、全く耕地整理理事業と交渉は出来ないと思っておられるようですが、言い換えれば、当町の貴村及び組合に対する妥協互譲の中心は、上述した石橋より堤塘に通じる道路幅員縮小にあります。貴村及び組合におかれても、3月9日付の回答があったものと了解している次第です。したがって、貴村及び組合の御見解が、結局、今回の御回答の通りであれば、当町高麗区の貴村耕地整理組合工事の該地区に係る不了解は、依然変わらないものとして、今後の成り行きも窺い知ることは難しく、当町においてもその措置に苦しむ所であります。
前述の次第を御理解の上、最初の交渉より当町の目的としている、現在、起工中の石橋より堤塘に至る道路幅縮小を実行して頂けるよう、重ねて御配慮して頂きたく、照会させて頂きます。
解説
今日の日誌は、内容が多く大変長い文章になっています。
まず、一つ目の工事の話です。薩摩邸は実業家・薩摩治兵衛の別荘で、西小磯と東小磯の山際の境(西小磯769)にありました。また池田邸と書いていますが、池田成彬は海岸に近い西小磯の別荘とは別に、東小磯に広大な農園を所有していました。その農園と隣接する土地の道路かもしれません。
次は、旭村から来た手紙への回答です。これは、旭村と大磯町を繋ぐ道路計画の話ですが、道幅の点などで合意が得られず、また、土地の買収に関わる耕地整理の問題も絡んでいて、何とか旭村に考え直して貰いたいということのようです。旭村は既に工事に着手しているようです。この手紙で、旭村の関係者は了解してくれるのでしょうか。
そして、小見助役は一度退庁しましたが、帰宅途中に立ち寄ったのは「滄浪閣」です。ここは当時、伊藤家から朝鮮の李王家に譲渡されていましたので、李王職の留守居が対応したのでしょう。大震災の折には、李王家はもちろん、同じく西小磯にあった梨本宮家も被災しましたが、大磯町に対して金品を下賜していましたので、謝状を贈呈したのだと思われます。
また、大震災後の復興の中で、大きく進んだことの一つが電気の普及ですが、配電のための電柱がどのようにして建てられていったのか、その経緯の一端が見える記述が、今日から数日間の日誌にあります。隔離病舎に続く道筋に、電柱を8本建てることが決まったので、先ずは材木商の田中亀太郎に木材を注文しています。このあと数日で、具体的な契約に進んでいきますが、この記述から、電柱は電気会社ではなく、必要箇所に町が建てていたのだということが分かります。
更新日:2025年03月15日