大正14年3月23日
3月23日(月曜日)、午前8時30分出勤。
本日、岡田町長は東京税務監督局へ出張した。
午前10時から中郡役所へ中郡町村長を召集し、中郡共立学校の位置問題について協議した。金目村と秦野町との折り合いがつかず、森郡長に託すこととなった。明日、金目村の有志3~4名を郡役所へ召集し、郡長の意見をふまえ円満な解決を図ることにして、午後3時半頃に散会した。旭・伊勢原・相川・比々多・東秦野・南秦野・岡崎・高部屋の町村長は欠席だった。
午後4時半に退庁した。
解説
助役日誌には、今までも何度か「中郡共立学校」が出てきました。明治19(1886)年に設立された「三郡共立学校」が、その後、「中郡共立学校」に改称されました。これは、大住郡、淘綾郡、足柄上郡の3郡で「三郡共立学校」を設立し、大住郡と淘綾郡の合併により2郡となったため「二郡共立学校」に、さらに足柄上郡が脱退したので「中郡共立学校」と改称された経緯があります。
当時金目村にあった校舎が関東大震災で倒壊しました。今日は、どこに新校舎を建てるかで話し合いが難航しています。
更新日:2025年03月05日