大正14年12月23日
12月23日(水曜日)、午前7時出勤。
昨夜8時半頃、加藤正義氏の別荘において病気療養中の岡野敬次郎男爵が死去されたことを、三宅悌吉氏より内々に連絡があった。病気が重篤の時から帰京の希望があったそうで、今朝9時30分に自動車にて出立することを、各町会議員に通知を発した。渡辺廣三・鈴木儀兵衛・山梨角蔵・小見助役・霜島校長・三宅悌吉等が見送った。
本日、元厚木税務署庁舎についての相談が必要なため、愛甲郡南毛利村長の牧田千代太郎氏に親展書を発した。庁舎払い下げ価格は578円70銭で、岡田町長の概略調査によると庁舎は約70坪、価格560円で、坪当たり8円となる。他に物置があるがこれは除く。
午後2時、宮代新太郎氏の自宅を訪問。水道の後始末について、山中技師に未払い等の件を尋ねたが、よろしく頼むとのことだった。午後3時50分に役場へ戻った。
本日、元収入役加藤倉吉氏の給与については規定により、満8ケ年に対する195円を給与した。
午後4時10分に退庁した。
解説
今日の日誌には、加藤正義と岡野敬次郎男爵が出てきます。加藤正義は実業家・政治家・元日本郵船副社長を務めた人です。加藤正義の養子である娘婿・加藤正治は、明治時代に伊藤博文夫妻が宿泊したことで有名だった駅裏の旅館「招仙閣」を、大正元(1912)年に譲り受け別荘としていました。義父の正義は、この別荘で大正12(1923)年9月の関東大震災で負傷しており、それが原因なのか分かりませんが、同年12月24日に69歳で亡くなっています。したがって、岡野敬次郎が亡くなったのは、正しくは加藤正治氏所有の元「招仙閣」だった別荘です。岡野敬次郎は、慶応元(1865)年生まれの、官僚・政治家・法学博士です。加藤正治も法学者で、岡野とは、指導者と弟子の間柄でした。























更新日:2025年12月03日