大正14年10月21日

更新日:2025年09月14日

10月21日(水曜日)、午前7時50分出勤。

午前9時頃、県の渡辺建築技手が役場に来られたので、小学校の建築現場へ案内した。竹下監督と会い、遅れてきた宮代町長と一緒に帰場した。

本日、国勢調査委員と役場吏員に対し手当を支給した。渡辺主任へ16円、長島・佐藤・加藤・中西・栢木・梅田・小見へ各8円ずつ、牛田へ3円、真壁・山口へ2円ずつ渡した。

本日付で警察署警部から県へ、修繕費1000円の寄付があった。吾妻村より金300円を県へ寄付あり。

本日、横浜第三中学校の主任から問合せがあった。来る24日の日曜日に大磯への秋季修学旅行を計画しているが、滄浪閣の四賢堂を拝見できるかどうかという内容だった。李王世子殿下別邸の岡田執事に問い合わせをし、回答する予定である。

午後0時30分、宮代町長と共に中郡役所に出かけ、郡長に面会し上水道会計の件を質問した。別会計でも本予算でも町営であればどちらでも計上が可能という回答をもらった。続いて大磯警察署に出向き、大川署長に面会し、上水道の件を町長から説明をした。

午後4時半頃、帰宅途中、滄浪閣の岡田執事に面会し、四賢堂拝観のお願いをした。修理中のため拝観不能との返答があり、明日22日早朝に横浜第3中学第1年生の担任教授へ連絡する予定である。

解説

滄浪閣の四賢堂とは、伊藤博文の本邸(滄浪閣)の庭にあったお堂のことです。明治36(1903)年に 伊藤が、明治の元勲である岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀るために建てました。その後、伊藤は明治42(1909)年に亡くなり一緒に祀られていますので、今日の日誌が書かれた時のお堂は「五賢堂」になっています。町民にとっては慣れ親しんだ「四賢堂」と呼んでいたのでしょう。現在は、旧吉田茂邸の庭内に移築され、西園寺公望と吉田茂が加わって「七賢堂」になっています。年に2回、開扉されて中を拝観出来ます。修学旅行での拝観の申し出は、残念ながら希望は叶えられませんでした。

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