大正14年9月2日
9月2日(水曜日)、午前7時25分出勤。
本日、小学校脇の排水工事関係者より出願があった。
本日、従四位勲六等の佐野義職(現秦野町長)が昨日に亡くなったことの通知があった。
本日、毎月裁判所へ届け出る書類の索引を調製した。
午後4時半に退庁した。
解説
亡くなった通知があった佐野義職は、大正12(1923)年から第10代秦野町長を務め、同時期に、秦野町・金目にあった中郡の組合立中学校(現・県立秦野高等学校)の校長を大正13(1924)年6月から務めました。さらに、この年の5月には学校が中郡六ケ町村組合立育英学校から二十六ケ町村組合立育英学校になったことで、その組合長に就任していました。関東大震災からの復興と、地域の教育に尽力して、現役のまま亡くなった方のようです。
参考
「神奈川県立秦野高校同窓会会報」第5号、1976年























更新日:2025年08月08日