大正14年8月21日
8月21日(金曜日)、午前8時出勤。
本日、小学校の霜島校長が来場し町長に面会を求め、昨日依頼された件についての返答があった。すぐに宮代氏と曽根田氏に了解を求める公的な文書をもって問い合わせた。
午後1時に退庁後、上水道水源地の調査に出かけた。
午後3時頃、渡辺元四郎技手が小学校建築の入札契約書並びに公示等についての説明のため出張してきた。霜島校長・宮代町長・小見助役の3名と種々協議し、文章の訂正をした。小学校にて茶菓子をいただいた。終了後松月亭において渡辺技手と共に夕食を摂り、午後9時頃に帰宅した。
解説
当時、大磯町の青年団長だった曽根田恭男氏と海水浴場委員の宮代師子氏との間で、青年団が作成した宣伝ビラに関して意見が食い違う問題が発生していました。町長や大磯小学校の霜島校長が仲裁に入り、両者の納得のいく和解が出来たようです。
この時若かった曽根田恭男氏(35歳)は、26年後の昭和26(1951)年には第21代大磯町長となります。そして、昭和29(1954)年12月、新市町村促進法に基づき旧大磯町と旧国府町が合併し、現在の大磯町が誕生し初代大磯町長となりました。27年間町会議員を務めた後、3期12年間大磯町長を歴任し、大磯高校の県立化やNCRの誘致、旧国府町との合併などの功績により、昭和45(1970)年に大磯名誉町民に選ばれました。























更新日:2025年08月02日