大正13年5月22日
5月22日(木曜日)、午前8時30分出勤。
本日、中郡役所を経て、最終配給品の給与があった。
本日、横須賀感染病院所属の将校2名・下士卒23名が当町に宿泊をした。
午後2時頃、藤田町長は平塚の武蔵野旅館において、中郡町村長並びに衆議院議員候補者の懇親会に出席した。
その後町長は、午後7時45分に大磯駅に着き、すぐ役場に戻り、今回の県会議員の総選挙について、郷土候補の件についての協議会に出席した。
交渉委員には、二宮・渡辺(欠)と鈴木・加藤の両区長が出席。協議には不参加がいたため、明晩に延期した。協議会用に天ぷら3つと新杵へ茶菓1円注文。
午後9時頃散会し帰宅した。
解説
藤田町長が懇親会に出かけた平塚の武蔵野旅館は、旧平塚新宿にありました。
旧平塚新宿は、現在の平塚駅から八幡神社付近、西は見附町付近までの広範囲でした。明治20年に平塚駅ができると、商店や飲食店、旅館が次々と増え、繁華街は東海道の「平塚宿」 から駅近辺の「平塚新宿」へと変わりました。その中に「武蔵屋旅館」があり、北原白秋が滞在し「平塚音頭」「平塚小唄」を作詞しています。今後の日誌にも「武蔵野旅館」の記述があり、宴会会場にも利用されることが多い有名な旅館だったようです。
藤田町長は懇親会から戻ると、衆議院選挙を終えたばかりですが、次の県会議員選挙の候補者選びについて話し合いを持ちました。郷土氏が候補者に上がっています。
更新日:2024年04月25日