大正13年4月23日
4月23日(水曜日)、午前8時30分出勤。
本日は加藤収入役が出勤したので、2日間の収納金の全部を引き渡した。
西小磯の添田平左衛門と柳田良平の2名が、糞尿の入札を行った。
午後4時10分退庁。
解説
江戸時代の糞尿は商品だった?こんな話をきいたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
化学肥料が無かった時代、人糞は畑の肥料として貴重な資源でした。値段にもランクがあり、食糧事情の良いお城の物は、買い取りの値段が高かったようです。化学肥料を積極的に使いだしたのは戦後ですので(占領軍GHQが、日本の野菜は細菌や寄生虫がたくさん・・・と騒ぎだしたので、日本の政府が化学肥料を推奨しました)、大正時代のこの当時は糞尿はまだ売り物であったと思われます。農家はお礼として取れた野菜で納めることもあったようです。
昭和30~40年の私の子どもの頃の記憶では、お金を支払って汲み取りに来てもらっていましたので、糞尿が売り物だったのは化学肥料が普及する戦前までだったのかもしれません。助役日誌に書いてある「入札」の詳細がわかりましたら、お知らせしたいと思います。
更新日:2024年04月23日