大正13年4月13日

更新日:2024年04月13日

4月13日(日曜日)

午前10時14分大磯駅発にて品川で下車。電車にて芝区神谷町で下車。城山町の伊藤梅子殿の病気お見舞いに、大磯町を代表して伺った。午後5時57分大磯駅で下車。町役場へ立ち寄り、そのまま帰宅した。

午後7時からの集会へは私用のため欠席した。

町長の出勤を待って、すぐに病気見舞いの報告をするはずであったが、欠席のため、うまくいかなかった。

解説

伊藤梅子は、1848年(嘉永元)に現在の山口県で生まれ、1864年(元治元)頃、イギリスからの帰国間もない伊藤博文と出会いました。博文はすでに結婚していましたが、先妻と1866年(慶応2)に離婚し、梅子が継妻となりました。実子2女を生み、養子3男、1女を育て上げました。初代内閣総理大臣婦人ということになりますが、勝気で向学心に富み、克己心が強く、1909(明治42)年10月26日に博文が暗殺された際には、涙ひとつ見せなかったと言われています。

夫の死後は、自宅の滄浪閣を出て、東京の次女の嫁ぎ先などを転々としていましたが、この日誌が書かれた前日の、1924年(大正13)4月12日に亡くなりました。小見助役たちは、梅子が亡くなったことを知らずに、病気見舞いへ出かけたようです。何ともな虫の知らせです。

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