大正13年3月31日
3月31日(月曜日)、午前8時30分出勤。
戸籍謄本に従事する。
一昨日の収納金の全てを加藤収入役に引き渡す。
午後2時頃、加藤収入役が平塚町へ出張したため、50円を預かり、支払を行う。午後3時半頃、収支計算を収入役へ引き渡す。
午後3時頃、字秣山の小学校植林が、約6反焼失した。西小磯の消防組と旭村万田の消防組が出場し、ようやく消し止めた。午後4時半頃帰宅後にこの連絡を受けた。明日、現場を確認する予定。
解説
この日は事件が起きてしまいます。小学校の植林地で火事が起こり、約6反(1,800坪)が焼失してしまいました。この植林地とは、大正4年(1915)に、当時の校長・朝倉敬之(よしゆき)が、大正天皇の即位行事である御大礼を記念して、小学校の児童に松を植林させたもので、当時の助役日誌にも、しばしばこの植林事業に関する記事が出ています。
字名は、正しくは笹山秣場(まぐさば)と言い、旭村万田(現在の平塚市万田)との共有地でもありました。この林は、その後、小学校の児童によって育てられ、学校の林として知られていました。
この日は、小見助役は林が焼失したという知らせを受けただけであり、詳しい状況はわからなかったようです。翌日、現場を確認するということですが、どのような状況なのでしょうか?明日の記事をお待ちください。
参考
鈴木昇『大磯の今昔』(八)、p.156-163
更新日:2024年03月31日