大正13年3月27日
3月27日(木曜日)、午前9時出勤。
加藤書記・渡辺雇の2名は、家屋調査のため西小磯へ出張した。
藤田町長は私用のため欠席(平塚行)。
昨日26日午後、茶屋町で発生した痘瘡患者は、隔離舎へ入院することになった。
午後4時頃、退庁。本日は普通事務に従事。
解説
関東大震災の後、井戸水の枯渇問題がありました。大正13年に入ってからは飲料水にも苦労し、感染症の流行も心配されていましたが、とうとう大磯でも天然痘患者が発生してしまいました。この患者は、当初、平塚の海軍火薬廠病院へ入院する予定でしたが、隔離舎への入院と変更しています。『大磯町史新聞記事目録』第2集に掲載されている2月19日の記事の見出しには、「平塚町火薬廠内で天然痘発生」とあります。そのため、このような変更を行ったのかもしれません。
当時の隔離舎の医師は、大磯町の医師が一年交代で担当し、医師とは別に、病院事務を行う職員も1人雇っていました。平塚の海軍火薬廠病院は、現在平塚共済病院となっています。
参考
『大磯町史新聞記事目録』第2集、p.131
更新日:2024年03月27日