大正13年3月26日
3月26日(水曜日)、午前8時20分出勤。
午前9時13分大磯駅発で憲兵大磯派遣所員は全員原隊へ復帰する事となり、大磯駅へ見送りに行く。
大槻医師から痘瘡患者発生の届出があった。患者は、平塚海軍廠の病院ヘ入院するとのこと。
行旅死者の遺留品の競売を行う。
午後2時半頃、町長は中郡役所ヘ出張され、同3時半頃帰場される。
本日は戸籍編製や謄抄本事務に従事する。
午後2時頃、中川隣之輔氏が来場され、藤田町長と面談されたが、すぐに退場された。
午後5時、町長と共に退庁。
解説
関東大震災で憲兵隊が派遣されて6か月が経過しました。この日、彼らは原隊へ復帰しました。3月14日には送別会を開催し、3日後には礼状も届いています。
『大磯の今昔』(九)に、この時派遣された憲兵の原隊について、記載があります。北海道から九州にわたり、派遣されていたことがわかります。大磯町には当初19名でしたが、だんだんと減っていき、最終的には9名が滞在。三島憲兵分隊1名、豊橋憲兵隊本部1名、豊橋憲兵分隊1名、大津憲兵分隊八日市分遣所1名、奈良憲兵分隊1名、歩兵第47連隊(小倉)第11中隊1名、同機関銃隊(小倉)1名、同第10中隊(小倉)1名、 輜重兵第7大隊第1中隊(旭川)1名という構成でした。
関東大震災の後、大磯周辺では土地が隆起し、そのような土地の変動などによって井戸水が枯渇するという問題が起きていました。さらに、この時期は雨量が少なく、飲料水の不足や、感染症の流行なども心配されていました。3月10日から、大磯警察は井戸水の検査を開始、3月21日に慈雨(大雨)との記事もありますが、大磯で天然痘が発生してしまいました。
参考
- 鈴木昇『大磯の今昔』(九)、p.88-89
- 『大磯町史新聞記事目録』第2集、p.132-133
更新日:2024年03月26日