大正13年3月20日

更新日:2024年03月20日

3月20日(木曜日)、午前8時50分出勤。

午前9時から、当町役場において営業税調査のため、県の関係職員がやって来た。

午前10時30分頃、霜島小学校校長が来場。町長に面会し、小学校第1号校舎の引き渡しを伝えた。後ほど小学校に行き、引き渡しに立ち会う予定。

当町銀行の件について上申した。

午後0時30分頃、町長とともに小学校校舎の引き渡しのために現地に赴く。引き渡し完了。渡り廊下の簀の子(すのこ)は至急作製することになり、すぐに小巻を町役場ヘ呼び、町長より言い渡された。小巻は承知した。

当町派遣所の憲兵は、明日21日に撤退することを届け出た。

午後4時20分退庁。

解説

前日の助役日誌にも書かれていますが、駿河銀行大磯出張所設置の陳情書の話が出ています。なぜ大磯に駿河銀行の話が出てくるのでしょうか。

駿河銀行の神奈川県進出はかなり早く、明治末期にはすでに厚木支店と藤沢支店を設置していました。銀行の買収を重ね、大正元年(1912)には、小田原支店、平塚支店、さらに鎌倉の日本実業銀行を買収したことにより、鎌倉支店、横須賀支店を開業、神奈川県への進出を加速させました。

大磯町の大磯銀行は、明治末期から大正中期にかけては業績が良かったのですが、震災後は経営が悪化し、大正13年11月に駿河銀行に買収され、その後の手続きを経て大正15年6月に合併の契約が成立し、駿河銀行大磯支店が誕生しました。この頃は、駿河銀行に買収される寸前の出来事として、助役日誌に登場してきます。

震災後の大磯銀行の悪化した経営により、「関東大震災によって資金は焦付き、担保土地は売れず支払い不能に陥った。結局、預金者にはその預金額の2割余りしか戻らないことになって、小規模な沿岸漁業の他にはわずかな別荘しかない土地柄零細預金者が多く、その倒産は人々の混乱と怨嗟の的となった」と、『駿河銀行七十年史』には記されています。 町としては、駿河銀行合併を求め、陳情書提出に踏み切りました。

参考

『神奈川県史』7、p.265

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