大正13年3月14日

更新日:2024年03月14日

3月14日(金曜日)、午前8時20分出勤。

午前8時58分大磯駅発にて平塚町憲兵派遣所ヘ出向いて隊長に面会。本日の送別会に招待することを申入れ、承諾された。平塚発同10時7分にて役場に戻り、町長に復命した。

憲兵駐屯所の撤退について、残る憲兵の滞在延期の請願書を陸軍大臣宛てに提出した。その請願書の写は次の通り。

憲兵駐屯について請願
昨年9月1日の震災は太古以来の未曽有の惨状を極め、家屋は倒壊、交通は杜絶、流言蜚語に人心は戦々恐々となりました。この時に戒厳令が布かれ、軍隊の派遣、続いて憲兵が軍隊に代わり当町に分派所を設け、日夜警護の任を尽くされたことによって、一般市民は落ち着きを取り戻し、落ち着いて行動できたことは、永く忘れられない恩恵と存じます。しかし、この度、当地の憲兵派遣隊は、撤退されると聞いております。撤退となりますと、不安の念を抱くだけでなく、撤退に乗じてどのような犯罪者が出没するかわかりません。どうかしばらくの間は、憲兵の人数を減らされても構いませんので、若干名でもご駐在いただくよう、このことを切に請願いたします。
大正13年3月14日
神奈川県中郡大磯町長 藤田文次郎
陸軍大臣 宇垣一成 殿

岩崎家より憲兵の送別会費、酒肴料として50円の寄贈があった。会費は1人3円。招待者は駐屯憲兵が8人、平塚派遣所長1人、合計9人。

憲兵分遣所の建物払下げの請願について、次の文章を提出した。

憲兵分遣所の建物払下げについて、お願いいたします。当大磯町小学校の校舎は、昨年9月1日の震災にて全壊いたしましたので、応急として倒壊した校舎の古材を用い、バラックの仮校舎を建設しました。しかし、到底、すべての児童を収容する能力はなく、寺院や民家を借りて、各所に分散し、二部教授を実施する有様です。この度お聞きしましたところ、震災地の警護のため派遣されていた憲兵隊は、近々ご撤退されるとのことです。そのようでございますなら、大磯町に建設した憲兵分遣所に属する建物はご不要になるかと存じますので、その建物の払下げを受け、小学校仮校舎の一部に使用したく存じます。特別のご配慮をもって払下げていただきたく、このことをお願い申し上げます。
大正13年3月15日
神奈川県中郡大磯町長 藤田文次郎
陸軍東京経理部長 谷林徳太郎 殿

すぐに提出した。

午後5時、禱龍館において、盛大なる憲兵送別会を催し、無事閉会した。時に午後8時頃であった。

解説

大正12年9月3日に戒厳令が出され、9月5日から平塚、大磯、二宮方面に陸軍が派遣されました。また、それとは別に、東京から憲兵隊が大磯に派遣され、大正13年3月頃まで分駐していました。状況が落ち着き、日誌が書かれた頃から、平塚、大磯の憲兵隊は撤収を始め、そのため、歓送会を開催したものと思われます。憲兵隊は、地域の防犯に大きく貢献していたのでしょう。惜しまれての撤収となったようです。

大磯町は、震災以前から小学校の拡充と整備を計画していました。震災で校舎が全壊してしまい、この状態を少しでも改善するため、日誌にあるように、憲兵隊が使用した駐屯建物を払い下げてもらう請願書を提出しています。

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