大正13年2月25日
2月25日(月曜日)、午前8時50分出勤。
午前10時、藤田町長は中郡役所で開催の町村長総会に出席。午後1時からは町村道復旧工事補助金協議会に出席される。
0時半頃、池田登記所長が来場。大磯町登記所庁舎復旧工事の設計変更の件で、横浜裁判所への照会に対し、はがきによる返書を持参された。はがきの回答内容は次の通り。
中郡大磯登記所池田書記殿
構造変更を希望されている件は、今のところ当方が設計し難い工事の範囲において、そちらが施行されることは差支え無い。屋根やその他の変更も差支え無い。倉庫の件では鉄筋は申し分ないが、鉄鋼は成績が悪い。よく御検討・御協議の上、遺憾なく取計られたい。
2月23日
横浜地方裁判所書記 小川
午前中、中西巡視は種痘検視のため、小学校へ出張。午後からは高麗ヘ出張した。長島書記は、紀州徳川家ヘ、地所測量のため出張。
午後2時半頃、渡辺雇書記は村井別邸に行路病者があり、報告のため出張。
渡辺定吉書記は私用で早退する。
午後4時10分退庁。
午後6時から、復興会の定会に出席する。当夜の出席者は渡辺・二宮・浅沼、欠席者は郷土・奥山・三宅・鈴木の4名。町長・助役も参加。同10時半散会。問題は小学校の敷地拡張、宅地の買入契約の件、小学校脇の下水開設の件等。茶菓を新杵で1円分購入。
解説
中西巡視は種痘検査で午前も午後も出張しています。「横浜貿易新報」の2月7日の記事に、東京で天然痘が発生したとの記事があり、続いて平塚町の海軍火薬廠でも天然痘の発生が報じられ、急遽、大磯管内で種痘の接種が行われたようです。2月17日の記事には、3万人分の種痘痘苗とあります。
復興会は、町会議員7名で構成されています。多くの町有建築物が甚大な被害を受けている中で、生徒数の増加もあり、小学校の敷地拡張と復旧が検討されています。小学校復旧費は42,000円余りの莫大な負債となります。『大磯町史』7によると、小学校復旧費に関して、神奈川県から借金し、昭和5年(1930)まで据え置き後に、年利4.8%で同23年(1948)に賦元利均等返済されたそうです。
村井別荘(実業家・村井吉兵衛の別荘)で行路病者があったとありますが、正しくは行旅病者です。明治32年(1899)に制定された行旅病人及行旅死亡人取扱法(法律第93号)では、行旅人が病気にかかったり、亡くなったりした時は、発見された市町村で救護することが定められました。
参考
- 『大磯町史新聞記事目録』第2集、p.130~131
- 『大磯町史』7、p.483~484
更新日:2024年02月25日