大正13年2月23日

更新日:2024年02月23日

2月23日(土曜日)、午前9時出勤。

午前9時50分頃、加藤収入役は平塚町へ主張し、午後0時帰場した。

午後0時半頃、県から大磯町の飲料水涸渇の実態調査のため、担当者が来場。町長に現状の説明を求め、中西巡視と共に現場調査に出張された。

午後4時退庁。藤田町長は公務のため、残られていた。

解説

当時の大磯町では、上水道はまだ敷設されていませんでした。そのため、井戸水を飲料水として使用していました。

関東大震災の後、大磯町だけでなく、周辺地域でも井戸の涸渇が発生していました。大正13年1月15日に再び大地震(丹沢地震)が発生して、ますます井戸枯れがひどくなったようです。

『大磯町史』には、相模湾沿いの隆起状況(大正13年調査)の図が記載されていますが、大磯町から小田原方面にかけて1.2~2.0メートル程の隆起があったことがわかります。また、小田原の事例ですが、『片岡日記』の著者は、自宅の井戸を深さ4間から5間に、つまり1.8メートル深く掘下げて、新たに井戸を作ったと記しています。しばらくは濁り水が続いたようで、すぐに飲料水として使用できるわけではありませんでした。

参考
  • 『大磯町史』7、p.457
  • 『片岡日記』大正編(小田原史談会、2022年9月)、p.69、大正13年2月29日条

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