大正13年9月26日
9月26日(金曜日)、午前8時出勤。
本日も栢木書記は病気で欠席した。
午前9時半頃から、阿波多羅磯部山と町共有地の境界について、長島書記と一緒に立ち会い、境界線を決めた。午後0時50分に役場へ戻った。
午後1時から、学務委員並びに区長一同を役場ヘ召集し、小学校運動会並びに尚歯会を来月3日に挙行することを協議し、一同異議なく例年通りに挙行することに決まった。
午後5時に散会し、すぐに帰宅した。
解説
「阿波多羅磯部山」とはどのあたりなのでしょうか。現在の湘南平は、昭和32(1957)年に、当時の平塚市長が名付けました。それ以前は「泡垂山(あわたら)」や「千畳敷」と呼んでいました。明治27(1894)年の古地図を見ると、「泡垂山」及び「千畳敷」を挟んで、西側の山は「西阿波多羅山」、東側は「東阿波多羅山」と記されています。そして「東阿波多羅山」の東側に現在の高麗山があります。この大磯丘陵の東端を「阿波多羅磯部山」と言っていたようです。「磯部山」の「磯部」とは海岸の一部を意味します。この丘陵のすぐふもとには、現在の金目川(通称、花水川)が流れており、舟運に利用されていた時代がありました。現在の地形とは大きく異なり、丘陵の東端はすぐ川につながっている場所でした。残念ながら「阿波多羅磯部山」の名前は、地元の住民でもほとんど知っている方がいません。
更新日:2024年08月16日