大正13年8月23日
8月23日(土曜日)、午前7時30分出勤。
本日は陸軍簡閲点呼があり、藤田町長、渡辺兵事主任・加藤書記・小見雇が随行し、会場の平塚小学校へ出張した。
三宅氏は、渡辺廣三氏からの要請で、藤田町長・郷土・奥山・二宮・三宅・渡辺の6名に通知を出した。用件は、蜷川博士が昨日秋田から帰り、明日の24日まで大磯に滞在するので、この機会に蜷川博士と面会することを勧めるというものであった。
午後0時30分に退庁した。
解説
助役日誌に時々記載がみられる「在郷軍人」とは、現役の軍隊を退き、予備役(よびえき)及び後備役(こうびえき)として在籍している軍人と、徴兵された中の補充兵役及び国民兵役に就いている軍人のことです。陸軍の「在郷軍人会」として組織化されたのは、日露戦争後の明治43(1910)年です。大正時代になると、海軍にも「在郷軍人会」ができました。通常の活動は、定期的な簡閲点呼(軍事訓練)の実施、戦没者の遺族や傷病兵とその家族の救護、戦没者の慰霊、徴兵検査の協力など、多岐にわたるものでした。昨年の関東大震災時における救護活動、復旧作業では大きな活躍をしました。
更新日:2024年07月17日