100年前の大磯 関東大震災特集5 国府地区の体験者の証言

更新日:2023年11月14日

前回に続き、大磯町国府地区の被害を見てみましょう。主に、大磯町郷土資料館がまとめた『むかしがたり―古老が語る大磯の災害―』から、体験者の証言を要約してご紹介します。

生沢

当時25歳・女性の証言
「集会所へ繭を出しに行った時に地震が起きて鷹取山の方からグーンと地鳴りがした。近所では草葺屋根がぺしゃんこになったり、お隣は大黒柱梁が落ちおばさんが大変だった。」

当時30歳・女性の証言
「ひどく揺れてる時は歩けるもんじゃなかった。一斗樽の味噌樽4樽が全てひっくり返った。西の方の家ではおばさんが家の下敷きになっていて、早くノコギリを持って来てと泣いて頼みに来た。藪に2晩かそこら寝て、その後バラックを建てて畳を持って来て寝た。3,4日過ぎた頃大雨となり、バラックに雨が入り込み大変だった。自宅の家起こし(修復)は馬を200円で売って費用に充てた。」

2人の証言から、この地区では、家の下敷きになった人がいたことがわかります。家屋の倒壊が激しかったようです。

黒岩

当時29歳・女性
「地震が来る前はドロドロドロドロって音がした。家が潰れておじいさん他家族数人が閉じ込められた。草屋根をむしったり、通りかかった人が持っていた鎌を借りたりして、助け出した。2日間は揺れが続いた。その晩すぐに小屋を建てて3軒で入った。黒岩では火事はなかったけど、ほとんどの家が潰れて、4人亡くなった。地に口があいてピターン、ピターンとくっつく。ひどかったよ。風呂もはいれなかった。井戸も潰れて、水はよそからくんできた。」

この地区でも多くの建物が倒壊し、下敷きになって亡くなった方がいました。「ドロドロドロドロ」や「ピターン」という擬音が、巨大地震の恐怖を感じさせます。

国府本郷

当時8歳・男性
「現在の大磯プリンスホテル付近の松林へ、兄2人と友達と4人で松葉掻きをしている最中に地震に遭遇した。雨風が吹くと恒例で松葉掻きに行かされていた。大地が大きく揺れ立っていられず、松の根にはいつくばったり、転がったりしていた。揺れがおさまってから家へ帰ろうとしたところ、葛川が増水していたので、服を脱いで川を渡った。家へ帰ると母たちが倒れた家の中にいて、静まるのを待っているようだった。夜は大八車の車輪をはずして荷台に布団を敷いて寝た。地割れが起きても落ちないようにという対策でした。」

大磯には大きな津波はきていませんが、多少の潮位の変動があったことが、葛川の水位が上がったことからわかります。ちなみに、松葉掻きとは落ちている松葉を熊手などで集めることです。集めた松葉は、燃料や肥料にしました。

国府新宿

当時24歳・女性
「地震が長くてだいぶおさまってからリュウマチで手足の不自由だったおばあさんを、私は妊娠してお腹が大きかったけどおぶって、おじいさんと藪根に逃げた。近所のおばあさんが物置の下敷きになって亡くなった。近所では地割れや火事は無かった。近所の家は倒れなかったけど、傾いた。」

当時23歳・女性
「字名は原でここら辺はずーと家が倒れた。地震の揺れは上下(うえした)で、地割れができていた。このへんは藪がないし、揺れがひどくて歩くことも大変だった。」

この地区でも、多くの家屋が倒壊したことがわかります。また、揺れが上下、つまり縦揺れに感じられたようです。

寺坂

当時12歳・男性
「川で魚釣りをしていた。地震で岸が崩れて川が半分埋まってしまった。家の方を見ると、南から北にかけて土地が波のようにうねっているような感じだった。」

当時20歳・女性
「母屋は傾いた程度だったが、物置や蔵は倒れた。地震がおさまってから主人がノコギリを持って出て行き、近所の倒壊した家から下敷きになった人を2人助けた。私も屋根に上ってカヤを外すのを手伝った。まだ牛を飼っていなくて、豚を6頭飼っていたが3頭が下敷きになってしまったので、それを肉にして村中に配った。」

川岸が崩れたこと、またこの地区では家畜にも被害があったこがわかります。

西久保

当時12歳・男性
「当時西久保には23軒あったが残ったのが4軒だけで、あとの家は全て潰れてしまった。この土地は赤土が多いので地盤が弱いですね。」

集落でほとんどの家屋が倒壊し、その原因として地盤が弱いのではとの見解が語られています。

虫窪

当時23歳・女性
「大磯海水浴場のお茶屋(海の家)では、当日も海水浴のお客さんが大勢いて、津波が来るから『上がれ、上がれ』ってせかしても、沖の方まで磯が引いていたので、お客さんはアワビだのサザエだのが簡単に取れるのでなかなか避難しなかった。ジイヤさんたち(海水浴場で安全管理をする人たち)が、無理やり避難させた。住まいのある虫窪の方は、ひどかったから話しきれない。我が家は瓦屋根が3棟あったが、2階建ての瓦が頭の上に落ちてきて大変だった。ひどい目にあいました。」

虫窪地区は海に面していませんが、証言者は海水浴場にいたようで、その時の様子を語っています。虫窪地区では家屋の被害が激しかったようです。

関東大震災から100年。当時から比べれば、建物の耐震化が進み、同じ規模の地震が起きても、それほど家屋は倒壊しないかもしれません。しかし、部屋にある家具は大丈夫でしょうか?海岸付近にいたらどうしたらいいでしょうか?地震がいつ起きてもおかしくない、そのような日々をわたしたちは過ごしています。現在の地震被害の想定については、神奈川県が調査結果を公表しています。

次回は、11月17日(金曜日)に更新します。災害時の食料問題について取り上げます。

参考

大磯町郷土資料館編『むかしがたりー古老が語る大磯の災害ー』1993年

添田喜一『中丸松原の一軒家』1990年

添田喜一『中丸の歴史を語る』2000年

『むかしがたりー古老が語る大磯の災害ー』は、郷土資料館で販売しています。ご購入のご案内は、こちらのページをご覧ください。

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