大正12年8月15日
8月15日(水曜日)、午前7時50分出勤。
普通事務に従事した。
午後1時頃、海水浴場保護人の件について、出方及び漁業組合長が来場し、明16日海水浴場の休日その他の件について町長と話し合ったが、 要領を得ずして双方とも帰られた。
午前10時頃、藤田町長は、学校敷地の件について岩崎男爵に面会された。町長が役場に帰って話されるには、地所を寄付するか、あるいは金品を寄付するか未定であるとのこと。
午後3時20分退庁。
解説
当時の海水浴場は、若い漁師が海岸で海水浴客の水泳指導及び監視業務を行っていました。彼らは「じいや」と呼ばれ海水浴客から親しまれていました。海水浴場保護人というのは、このようなライフセーバー役のことです。また、出方とは当時の海の家、海水茶屋の経営者です。
16日は、漁業組合が休みであるため海水浴場も休みにしてほしいと、組合長から申し入れがあったようです。海水浴場保護人が漁師だったため、このような提案があったようです。結局、要求は受け入れられず、物別れに終わってしまいました。
そして、岩崎久弥と町長の面会は、岩崎からやや難というような返答を受けたようです。さて、次の町の展開はいかに…??
更新日:2023年08月15日