大正12年8月9日
8月9日(木曜日)、午前7時30分出勤。
藤田町長は、私用のため欠席。普通事務を取り扱った。
午後1時、釜山高等女学校・保田純一氏が自転車独旅行を計画し、大磯駅を通過したことを記念した。
午後3時10分退庁。
帰途、郷土氏と共に産業組合事務所へ立ち寄った。すぐに帰宅。
午後8時頃、故伊藤公記念碑の件について、西小磯地区事務所(床屋)へ、同地区伍長・総代等の集会に参加。午後11時散会、帰宅。
解説
この日の小見助役は、相変わらず多忙です。退庁後、6日に続いて県会議員選挙に出馬する予定の郷土久蔵と共に、産業組合事務所に挨拶回りをし、夜分になってから、今度は故伊藤博文の記念碑建立の件について、西小磯地区の代表等と協議をしています。
また、もう一つの記事として、自転車単独旅行の事が記載されています。大磯を通過したらしいことはわかりますが、人物像や、旅行のコースなど細かいことは不明です。
明治時代、輸入品で高価だった自転車は、当初富裕層の物で物珍しさもあり、レースや登山が行われることもありました。大磯でも、明治45年(1912年)3月、千畳敷(現・湘南平)で自転車レースが行われた記録があります(『大磯の今昔』(八)、p.55-66)。
第一次世界大戦後になると、価格が安い国産車が製造され始め、実用に使われることも増えていきました。このような冒険旅行をする者も出てきていたのでしょう。
なお、釜山(プサン)高等女学校は、現在の大韓民国(韓国)の釜山にあった女学校です。100年前の当時、日本は韓国を統治下に置き、教育においては日本国内に準じた学校教育制度を整備しました。この学校もその一つです。
更新日:2023年08月09日