大正12年4月24日
4月24日(火曜日)、午前8時30分出勤。
北下町の大下水管の修理工事が完了した件で、同地区衛生組長と諸星栄太郎衛生委員の両名が、修理費補助金の請求にみえた。修理工事代金は総額360円60銭で、補助金請求額は総額の3分の1となる。藤田町長の決裁を受ける予定。
午後からは戸籍謄本事務に忙殺される。
午後4時10分退庁。
帰宅途中、三宅氏の自宅を訪問して、相州蜜柑同業組合の代議員選出の件を交渉し、藤田町長の交渉と共に渡辺廣三氏に交渉したところ、快く承諾された。時に午後8時30分であった。
解説
日誌の中で道路や下水道の修繕の記載がよくありますが、今回は大修理のようです。町からの補助金が3分の1ということで、個人宅の接続分もあったのでしょうか。上・下水道の整備は、衛生面でも重要す。衛生委員や衛生組合など、衛生行政の始まりや、警察署が衛生事務を担当するようになったいきさつが、滋賀県文書館のウェブサイトに掲載されています。
相州蜜柑同業組合の代議員に渡辺廣三が推薦されるようです。『大磯町史』資料編の柑橘栽培業者組合員名簿には、町会議員や区長の名前があります。当時の町会議員や区長は、農業・漁業・商店などを兼業する地域の名士たちでした。
参考
『大磯町史』3資料編、p.477
更新日:2023年04月24日