大正12年4月16日
4月16日(月曜日)、午前8時25分出勤。
戸籍謄抄本に従事する。
加藤収入役が私用のため欠席、代わりに収入事務を取り扱う。
来る18日、高来神社で春祭式後、故北白川宮妃・朝香宮両殿下の御平癒御祈願を行うことについて、高麗社司より各区へ通知を出す。
当日、藤田町長は忌服のため助役が出張し、参拝参列することを依頼される。
午後4時20分、退庁する。
横浜より千畳敷へ団体が来た。
解説
例年執り行われる高来神社春の例祭の準備が進められています。そこで、例祭の後に、北白川宮房子と朝香宮鳩彦(あさかのみや・やすひこ)の平癒祈願を行うことが決まりました。
大正12年4月1日、フランスに留学していた北白川宮成久は、妻の北白川宮房子と同じく留学中の朝香宮鳩彦をドライブに連れ、交通事故を起こして亡くなりました。その時、房子も鳩彦も重傷を負いました(同乗したフランス人二人も、一人は亡くなり、もう一人は軽傷を負いました)。平癒祈願は、この事故を受けて執り行われる予定となりました。
ちなみに、後に内閣総理大臣になる東久邇宮稔彦も、当時フランスに留学中で、この時に北白川宮成久よりドライブに誘われていましたが、成久の運転技術を怪しみ断ったことで難を逃れたというエピソードがあります。
更新日:2023年04月16日