大正12年2月22日

更新日:2023年02月22日

2月22日(木曜日)、午前8時30分出勤。

戸籍謄抄本に忙殺される。特に家督相続裁判所送りに忙殺される。

午後、吾妻村の戸籍主任・井上氏が来場。戸籍上の件について、渡辺主任書記と数時間に及ぶ雑談をする。

午後3時30分頃、萩原氏が東京からの帰りの途中役場に立ち寄り、岩崎家の意向の概要を報告した。すぐに町長は交渉委員及び学務委員を、午後7時に役場に召集するよう告げられた。

午後4時10分退庁。

午後7時から役場において、岩崎家の件について打ち合わせをする。協議の結果、明日23日藤田町長及び渡辺・奥山の2名と共に、この件について内密に蜷川博士を訪問することに決め、午後10時頃散会した。今夜の出席者は奥山・渡辺・大内・青木・二宮・三宅・藤田町長・小見助役、郷土氏は欠席した。茶菓1円を新杵に注文した。

解説

この日は戸籍謄抄本ばかりでなく、家督相続にかかわり裁判所へ書類を提出しなければならず、仕事で大変忙しい時に、来場した吾妻村(現在の二宮町)の井上氏と渡辺主任書記が、何時間も雑談?をしています。戸籍上の話とはいえ、重要な話ではなかったのかもしれません。小見助役のイライラが伝わってくるような文章に思います。

岩崎家の萩原執事は、東京からの帰り道、町役場に立ち寄っています。前日の打ち合わせの通り小学校の敷地拡張の件について、東京の岩崎本邸に行き岩崎久弥からの返事を伝えるため、急ぎ町役場に来てくれました。具体的な内容は書いてありませんが、残念ながら良い結果ではなかったようです。町長はすぐに、夜7時からの会議の召集を告げ、交渉委員と学務委員は町役場に集まることになります。小見助役は4時10分にいったん帰宅しました。再度役場に集まり遅くまで協議した結果、翌日、藤田町長と渡辺・奥山が、蜷川博士宅を訪問する事に決まりました。

蜷川博士とは、日誌に時々出てくる蜷川新(にながわ・あらた)のことです。法学者で、同志社大学・駒澤大学の教授であり、大磯の吉田茂邸の東隣、血洗い川沿いに別荘がありました。その隣はジョサイア・コンドルの別荘です。昭和34年(1959)蜷川博士が亡くなった後、貞子夫人は蜷川博士の著書を大磯町立図書館に寄贈しています。岩崎家とはどのような関係なのかはわかりませんが、力強い協力者になることを期待したいと思います。

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