大正11年9月23日
9月23日(土曜日)、午前8時30分出勤。
午前7時頃チフス患者が隔離舎で死亡。
本日から梶山氏を月給60円で隔離病舎の臨時事務員として採用する。
午後3時10分退庁。
解説
梶山氏が隔離病舎の事務員として採用されました。チフス患者の急増に対する対応であったと思われます。月給60円とありますが、当時の大卒の初任給は50~60円位だったようです。
参考
レファレンス共同データベース「明治、大正期の華族と庶民の収入を比較したい。」より
9月23日(土曜日)、午前8時30分出勤。
午前7時頃チフス患者が隔離舎で死亡。
本日から梶山氏を月給60円で隔離病舎の臨時事務員として採用する。
午後3時10分退庁。
梶山氏が隔離病舎の事務員として採用されました。チフス患者の急増に対する対応であったと思われます。月給60円とありますが、当時の大卒の初任給は50~60円位だったようです。
レファレンス共同データベース「明治、大正期の華族と庶民の収入を比較したい。」より
更新日:2022年09月23日