大正11年8月22日
8月22日(火曜日)、午前7時50分出勤。
午前8時半頃、三宅海水浴場委員から海水浴場の監視について注意を要すとの事で、すぐに当番の長島書記を派遣した。
佐藤書記は吾妻村役場の税務会議へ町長と共に出張した。午後0時30分頃、佐藤書記は帰場し、藤田町長はそのまま帰宅された。
本日は怒涛のため、海水浴場の更衣所の大部分を取り片付ける。無料更衣所は全て撤去する。
西小磯地区で雨乞いを行う。
午後3時30分退庁。
解説
この年の夏は晴天が続いたようで、8月の大磯海水浴場の入場者数は、男性39,351人、女性32,418人、子ども31,110人、合計10万9,879人の方が、大磯の海水浴を楽しんだようです。前年の大正10年は合計6万8,497人で、4万人増となっています。
台風の接近などでは再三取り片づけられる海水浴場の更衣所ですが、構造はよくわかりません。おそらく、丸太の柱と梁、葭簀(よしず)などが使われた、簡易なもののようだったようです。茅ヶ崎市図書館の郷土資料デジタルライブラリーに、海水浴場更衣所の絵葉書が2枚あります。
西小磯で雨乞いの神事が行われました。晴天が続き、西小磯の農家を悩ませていたのでしょう。
参考
『大磯町史』3資料編近現代1、p.503、324
更新日:2022年08月22日