大正11年7月31日
7月31日(月曜日)
忌引休暇
解説
7月26日に実の母を亡くされた小見助役は、この日まで忌引きで執務を休みました。
さて、改めてこの日誌の書き手の小見助役、どのような人物なのか、このブログではあまり紹介していませんでしたので、少しご紹介します。
小見助役、こと小見忠滋(こみ・ただしげ)は、幕末の文久2年(1862)に大磯町の西小磯で生まれました。当時は江戸時代ですから、西小磯は西小磯村という村で、まだ、「大磯町」はありませんでした。
小見家は村の名主を務めるような、いわゆる地元の有力な家で、小見助役も幼い頃から漢籍学を学んでいました。明治43年(1910)には大磯町会議員を務め、この頃から町政にかかわるようになったようです。
文久2年生まれの小見助役は大正11年(1922)当時、満60才、還暦という年齢でした。小見助役の助役としての日々は、まだまだ続きます。

小見忠滋肖像(鈴木昇『大磯の今昔』(四)、p.79より)
更新日:2022年07月31日