大正11年7月17日

更新日:2022年07月17日

7月17日(月曜日)、午前8時20分出勤。

加藤収入役が病気のため欠勤していたが、平癒したので本日より出勤する。

普通事務に従事する。

午後より、藤田町長が海水浴場へ出張して巡視を行った。同時に渡辺書記が戸籍事務のため、平塚町役場へ出張した。

午後2時30分退庁する。例年通り、祭典のための早退である。

午後9時ごろ、西小磯区長の添田平左衛門氏より、横須賀野戦砲兵第一聯隊の軍馬が日射病に罹り、西小磯字切通の上郎所有地にて斃死したことについて通知があった。すぐに同所へ出張し、死馬を明日埋葬することとして引き揚げた。現場には野戦砲兵陸軍一等軍医西吉原豊蔵氏の外、特務曹長一名が随従していた。

午後11時ごろ帰宅した。

解説

藤田町長は海水浴場の巡視にでかけました。

西小磯の切通しで軍馬が日射病で斃死(へいし)したようです。斃死とは野垂れ死ぬことで、主に動物の急死に用いられる言葉です。西小磯の切通しとは、県立大磯城山公園と旧吉田茂邸の間にある切通しです。上郎の所有地とありますが、上郎(こうろ)は吉田と共有名義で西小磯の土地を所有していた人物で、上郎幸八の妻と吉田茂の養父・吉田健三の妻は姉妹でした。幸八は大正6年(1917)に亡くなっているため、当時は息子の新ニが土地の所有者となっていました。

小見助役は、午後9時に西小磯区長添田平左衛門より連絡を受けて現場に行き、午後11時に帰宅しています。明日は高来神社例祭当日ですが、急用が入ってしまいました。

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