大正11年6月7日

更新日:2022年06月07日

6月7日(水曜日)、欠席。

解説

引続き、小見助役は忌引きのため欠勤です。

豆知識~100年前の感染症対策~

大正11年(1922)6月2日夜に小見助役の妻は、腸チフスのために亡くなりました。以後、6月11日まで休日も挟み、小見助役は服喪中となりました。

100年後の現在も、令和2年(2020)年頃から感染が世界的に広まった新型コロナウイルス感染症の影響を受け、薬やワクチンがない感染症が、いまだに人類の脅威になり得ることは、疑いの余地がありません。

小見助役の日誌には、たびたび、町内でチフス患者などが発生し、町内にあった隔離舎へ入院させている記録が出てきます。抗生物質がまだなかった100年前は、現在の私たちよりも、もっと感染症に対する脅威は身近であったと考えられます。

当時の日本には、伝染病予防法という法律があり、伝染病(感染症)として、コレラ・赤痢・腸チフス・痘瘡・発疹チフス・しょう紅熱・ジフテリア・ペストが指定されていました。これらの感染症に感染した患者を診断した時は、所在地の警察署や市町村長へ届け出、患者の家を消毒し、予防上必要な場合は、患者を伝染病院や隔離病舎へ入院させることになっていました。小見助役の日誌からは、この法律によって、伝染病予防の施策が実施されていたことが、よくわかります。

参考文献
  • 大磯町編『大磯町史』7、p.200~203
  • 鈴木昇『大磯の今昔』(九)

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