大正11年5月10日
5月10日(水曜日)、午前7時50分出勤。
本日、町村長会同。税務主任を同伴し、午前10時に中郡役所ヘ出頭した。
午前9時半頃、町長出勤。来場の受付事務に認印した。
明日11日、大磯小学校尋常科生徒は3組に分かれて、寒川神社・大岡墓・秦野専売支局・弘法山・二宮園芸場の3か所へ春季遠足をする。
午前8時、長島書記は茶屋町下水改修の件について、実地測量に出張した。
去る3月20日付けの恤救願出について、神奈川県指令内社第642号によって、大正11年4月1日から恤救米1日2合および補助費1か月あたり金1円50銭を対象者に支給することになった。ただし、扶養義務者の発生、または他に生活の目途が立った場合は直ちに支給を停止するため、そのような事実がある時は、そのことをすぐに届け出なければならない。許可証は、本人が病気であるため親族に渡す。恤救係の長島書記が担当。
午後1時、大磯土木派出所の主事として、神奈川県の高木彌技手が赴任したため、新任の挨拶に来場された。また、同じく道路技手・土木技手の吾妻國次氏も来場された。
本日、徴兵検査心得書を本年受検壮丁に配布。
午後4時10分退庁。
帰途、岩崎邸の萩原唯一氏を訪問。明日の県内視察団員が邸内を観覧することについてお願いした。萩原氏から承諾を得た。
解説
小学校生徒の遠足が予定されています。行先を見ると、当時から社会見学を兼ねた行事として行われていたことがうかがえます。娯楽としての遠出や旅行が簡単ではなかった時代、子どもたちにとっては、楽しい経験をする貴重な機会だったことでしょう。
大岡墓とは、江戸町奉行として知られる大岡忠相(おおおか・ただすけ)の墓所で、茅ヶ崎市堤の浄見寺に大岡家代々の墓所として現存します。秦野専売支局は、国によるたばこの専売を管轄する機関の支局として、葉たばこの栽培が盛んだった現秦野市内に明治期に置かれ、直営の工場や試験場もありました。現在、葉たばこの栽培は行われていませんが、秦野市では、毎年9月に「たばこ祭」を開催するなど、その文化と歴史を継承しています。二宮園芸場は、跡地が現在二宮果樹公園として整備されています。園芸場の詳細については、大正10年11月4日の記述をご覧ください。
恤救(じゅっきゅう)とは、1874年(明治7年)から1931年(昭和6年)まであった恤救規則という法令に基づく救済制度で、改正を重ねて現在では生活保護法へと引き継がれています。この法令は、身寄りや保護者がいない極貧者、老衰も含め心身に疾病を持つ者、孤児等を国庫金で救済するもので、米代を支給しました。しかし、まずは親戚や近隣で助け合うことが前提で、当時から認定条件はかなり厳しかったようです。
また今日は、この年に壮丁(20歳)に達し、徴兵検査を受ける青年たちへ、手引書となる「徴兵検査心得書」を配布しました。
更新日:2022年05月10日