大正11年4月28日
4月28日(金曜日)、午前8時10分出勤。
西小磯西区の町税・県税の取立に従事する。
本日、藤田町長は有村氏の内容証明書に回答を送る。
戸籍謄抄本事務に従事する。
藤田町長は午後1時頃、県土木事務所へ出張、午後3時20分に役場に戻られる。
昨日の西小磯東区の町・県税の収納金3,100円余りを、役場へ納入する。
旭村の戸籍主任佐藤書記が、戸籍の件で藤田町長に面会した。戸籍担当の渡辺書記も同席し事情をきいた。その結果、明日、小田原裁判所へ佐藤旭村書記と渡辺主任書記が行くことになった。旭村村長の臼井茂三郎氏からの依頼書もあり、渡辺書記は明日午前7時大磯駅発で小田原裁判所に出張する予定。
午後4時10分退庁。
午後5時頃、西小磯区長と代理2名が、本日の取立済みの町・県税1,700円余りを役場に持参され、収入役に納入された。
解説
西小磯の区長と代理の者は、閉庁後の午後5時に町・県税を収納にみえました。税の取立は、いろいろと苦労があったようです。
前日とこの日に徴収した税は、町・県税でいわゆる土地にかかる税金ですが、現在、私たちが身近に感じている税金は所得税かもしれません。国税庁のウェブサイトで紹介されている、租税資料「税務署職員数と所得税納税者数の推移」のグラフによれば、所得税の納税者数は大正5年(1916)には100万人弱でしたが、大正11年(1922)には180万人と2倍近くになっています。大正時代になり、給与所得者が増え、次第に所得税の収納が主となる時代になってきました。
更新日:2022年04月28日