大正11年12月26日

更新日:2022年12月26日

12月26日(火曜日)、午前9時20分出勤。

本日も戸籍謄本事務に従事する。

午前11時頃、長島書記と共に大磯駅長を訪問。大磯駅内への案内所移転出願の件は、駅長の意見に従うことを伝え、役場に戻る。

午後から渡辺書記は私用で秦野町へ出向く。

午前8時36分、中郡役所から藤田町長当選に関する書類一式を県庁に届ける。即日認可される予定。午後3時50分、藤田文次郎氏町長認可の通知が県庁から中郡役所に届く。佐藤書記が郡役所に出向き辞令を受領、午後4時15分藤田町長に通知する。

午後5時退庁。

解説

大磯案内所の移転の件は、影本駅長の意見に従うことになりました。当時大磯町へ訪れる海水浴客数は14万人以上。別荘は200軒程もあり、駅内に案内所が欲しいとの要望もあったのでしょう。

100年前当時の町長選挙当選後の手続き、県知事の認可指令が届くまでの流れがよくわかる記載です。当時は、町会にて選出したのち、郡役所を経て、県知事から認可を受ける必要がありました。即日、関係の書類が横浜の県庁まで往復して届けられたようです。

大磯町長 藤田文次郎

今回、再選となり、大磯町長となった藤田文次郎。どのような人物なのでしょうか。

藤田文次郎は、昭和29年(1954)12月に大磯町と国府町が合併する前に、大磯町の12代目の町長を務めました。在任期間は、大正7年(1918)12月~大正14年(1925)1月です。当時の町長の任期は4年でした。つまり、今回の選挙は、大正7年12月から4年後に行われた任期満了に伴う選挙でした。

実は、藤田が大正7年に町長に就任した時は、大きな事件がありました。前町長の白根鼎三(しらね・ていぞう)が、在職中に急死したのです。そのため、藤田の町長就任は、なかなか慌ただしくまとめられたという経緯がありました。

藤田は文久2年(1862)6月7日に生まれ、明治19年(1886)に大住淘綾(ゆるぎ)郡(のちの中郡)役所の雇となり、明治26年(1893)に同役所の書記となってから大磯町長に就任する直前まで、郡役所の書記として務め続けていました。大磯町長就任時は満56歳。長年、地元の郡役所で実績を積んできたベテラン官僚という理由から、町長として選出されたのでしょう。

12代大磯町長藤田文次郎肖像

藤田文次郎(大磯町議会所蔵)

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