大正11年12月22日

更新日:2022年12月22日

12月22日(金曜日)、午前8時30分出勤。

戸籍謄抄本事務に忙殺される。

午後4時閉庁後、午後5時から町会議員一同を召集して、藤田町長の後任の件で密議する。出席者は青木・浅沼・郷土・奥野・奥山・飯島・脇・大内・三宅・二宮・柳田・鈴木・渡辺・平田・小見・出口の16名、欠席梅田・豊田の2名。協議の結果、藤田文次郎現町長の留任を交渉することになった。交渉担当委員として、青木・大内・脇・三宅・渡辺の5名を推薦。早速交渉委員の内3名で藤田町長宅を訪問して本人の承諾を得る。即時町会に承諾の連絡が入る。

続いて選挙会の日程を協議し、25日午後1時から選挙と決定する。一同散会。茶菓金は2円、新杵から購入。

今夜は交渉委員3名のために人力車3名を雇った。

解説

当時の町長は、町会において選出されることになっていました。現在とは異なる制度ですが、今回は任期切れになる直前で町会議員が密議し、交渉、選出という流れで藤田町長に対する留任が進められたことがわかります。

参考

現在の町の行政に関する制度は、地方自治法によって定められています。では、100年前の当時は、どのような制度があったのでしょうか。答えは、町村制という法律が定められ、この法律によって町の行政制度が定められていました。

町村制は明治22年(1889)4月1日に施行され、この時に成立した町村が、現在の町村の原型になっていると言っても間違いありません。この制度は、いわば江戸時代の村から、明治時代の近代的な町村に変わる画期的な制度でした。

町村制で定められたことは、町村の区域、住民の権利義務、條例(町村が定めるルール)、町村会、町村吏員などで、この法律によって、町村長は町村会において選出されることが定められていました。

この町村制は、明治44年(1911)に全面改正され、明治44年以降も部分改正はなされていますが、100年前の大正11年(1922)には、おおむね、この改正「町村制」によって、町政が運用されていました。

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