大正11年12月3日
12月3日(日曜日)、休日。
大磯小学校において授業研究会があり、午後から参加した。盛会を極めた。午後5時に散会し、帰宅。
女性の溺死者があり、当直の中西巡視が対応した。
解説
この日は小学校で「授業研究会」が行われ、盛会を極めたと書かれています。「授業研究会」とはどのような内容のものだったのか、日誌に詳細はありませんが、文部科学省のホームページ(学制百年史)によれば、大正6年(1917年)9月21日に「臨時教育会議官制」が公布され、内閣直属の諮問機関として「臨時教育会議」が設けられました。それにより、教職員の俸給や教育内容についての改革が進められ、さらに大正8年(1919年)3月には、「小学校令施行規則の改正」があり、その後も尋常小学校の教科目と週当たりの時間数が変更されていきました。
教育に関するさまざまな改革が進められる中、教育現場では研究会の開催が行われていたことがわかります。
更新日:2022年12月03日