大正10年12月21日

更新日:2021年12月21日

12月21日(水曜日)、午前8時30分出勤。

戸籍謄抄本事務に忙殺される。

午前11時35分、高松宮殿下が大磯駅を御通過された。奉送した。同じ時刻に、梨本宮・同妃殿下が西小磯別邸へお見えになられるため、大磯駅で下車された。同じく奉迎した。同じく本日中、午後4時4分に大磯駅発で御帰京されたため、奉送した。

チフス患者が隔離舎で亡くなった。

午後4時10分退庁。

解説

チフスの患者が亡くなりました。当時、大磯町はまだ上下水道が整っていませんでした。県営水道の竣工は、昭和10年(1935)です。

腸チフスの予防接種は、町内で実施されていました。この年、大正10年(1921)の腸チフス患者は31人で、そのうち28人が隔離舎に入院しています。

小見助役の日誌には、隔離舎で使われた寝台(ベッド)や布団の注文などの記載も見られます。患者の看護のため、近隣の看護婦会に看護婦の派遣も依頼しています。

隔離舎の開舎日数は257日となり、大正10年の「伝染病隔離病舎費」の予算は957円40錢でしたが、決算は4,331円91錢と多額になっています(『大磯の今昔』(九)、p.59~63)。

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