大正10年12月11日
12月11日(日曜日)、休日。
午後0時22分、摂政宮殿下が桃山・畝傍に参拝のため、大磯駅をご通過された。藤田町長と一緒に停車場へ奉送した。
腸チフスの患者が発生し、隔離舎へ入院させた。
解説
当時の皇太子、のちの昭和天皇は、大正10年(1921)11月25日から、大正天皇の病気のため、摂政に就任しました。そのため、日記にも「摂政宮」と表記されています。
伏見桃山陵は明治天皇の陵、畝傍(うねび)は畝傍山にある神武天皇陵のことです。
12月11日(日曜日)、休日。
午後0時22分、摂政宮殿下が桃山・畝傍に参拝のため、大磯駅をご通過された。藤田町長と一緒に停車場へ奉送した。
腸チフスの患者が発生し、隔離舎へ入院させた。
当時の皇太子、のちの昭和天皇は、大正10年(1921)11月25日から、大正天皇の病気のため、摂政に就任しました。そのため、日記にも「摂政宮」と表記されています。
伏見桃山陵は明治天皇の陵、畝傍(うねび)は畝傍山にある神武天皇陵のことです。
更新日:2021年12月11日