大正10年12月1日
12月1日(木曜日)、午前8時10分出勤。
今日も収支事務に忙殺した。
役場庁舎内で、電話架設費について話し合った。
午後4時30分退庁。
解説
電話架設費について話し合われていますが、当時の電話は現在とかなり違っています。
電話は逓信省(郵便局)の管轄業務で、利用できる時間帯も、緊急時を除き3月から10月末までは午前6時から午後8時、11月から2月末までは午前7時から午後8時でした。これは、現在のように電話をつなぐシステムが自動の交換機ではなく、電話局にいる交換手をベルで呼び出して相手の番号を告げ、交換台を使って手動で回線をつなげていたからだと思われます。そのため、電話機に数字のダイヤルはありませんでした。
大磯における電話事情がわかる資料が、当時の大磯を紹介した『大磯案内』(朝倉誠軒著)に書かれています。大正3年(1914年)には10,349だった利用件数が、大正9年(1920年)には18,027になり、さらに昭和3年(1928年)の改訂版では40,168となっています。また、加入者は大正9年の111から、昭和2年(1927年)には180となり、急速に普及していったことがわかります。
参考
朝倉誠軒『大磯案内』1912年、P.15
同、1928年改訂版、P.14-15
更新日:2021年12月01日