大正10年7月15日
7月15日(金曜日)、午前8時出勤。
戸籍謄本に従事。
午後1時から臨時町会を開催。異議なく満場可決。茶菓子2円を新杵に注文。その後、相談会に移り、郡長の住宅についていろいろと意見を交わしたが、結論には至らなかった。土木委員を委員として、南下町の町の共有地を確認することになり、午後4時頃散会した。即刻、帰宅した。
解説
この当時の中郡長は吉野勝です。理由はよくわかりませんが、郡長の住宅問題がこの頃発生し、町として郡長の住まいを探すことになりました。大正5年(1916)頃、郡制が敷かれて以来、大磯町にあった郡役所が、平塚町(現平塚市)へ移転するという話が浮上し、大きな問題になりました。この時、大磯町は、何とか郡役所の移転を阻止したという経緯がありますので、郡長が郡役所の近くに家を構えたい!と希望したのであれば、場所探しに積極的になる必要があったのかもしれません。
更新日:2021年07月15日