大正10年7月2日
7月2日(土曜日)、午前7時50分出勤。
午前9時頃から海水浴場開きのため海岸に出て、式に参列した。9時から11時まで式典が行われた。
帰庁の後、午後0時30分退庁。
解説
今日は海水浴場開きでした。町長はじめ議員や警察署長など役職者が列席して、海岸で式典を行いました。
大磯が、国内で最初の本格的な海水浴場だということは知られていますが、明治18年(1885年)に開設された当時、浴場管理や海水茶屋と呼ばれる休憩所の経営には、旅館組合が携わっていました。しかし、次第に利害関係の悪化などの問題が起こり、明治35年(1902年)に町営化することになりました。ところがそれがまた上手くいかず、大正4年(1915年)に旅館組合経営に戻りましたが、町からの補助がわずかだったこともあり、人件費の高騰や高波被害の修復に借財ばかりが膨れ上がり、大正8年(1919年)に再び町営になりました。
この日誌は、ちょうどその変換期にあたり、大きな利益をもたらす一方で、自然相手のリスクも伴っていた海水浴場の実態や、出方(でかた)と呼ばれた海水茶屋の主人たちとのやり取り、町営に戻ったことで、町長・助役をはじめ町役場の職員が、夏場の海水浴場を度々視察したり、管理事務所に交代で務めていたりしたことなどが、折々に記録されています。
参考
飯田福信・佐川和裕「新聞記事にみる大磯海水浴事情」(『年報―平成21年度―』大磯町郷土資料館、2011年) (PDFファイル: 6.6MB)
更新日:2021年07月02日