大正10年5月10日

更新日:2021年05月10日

5月10日(火曜日)、午前7時30分出勤。

戸籍謄抄本事務に従事した。

西小磯東区長の柳田勇次郎氏が職を辞された。

大磯町指定道路の図面番号を訂正し、郡役所経由で県へ提出した。

午後4時30分退庁。

解説

この日、小見助役は「指定道路」に関する書類を県に提出していますが、「指定道路」とは、私道を公の道路として指定した箇所のことを言います。当時の公道としての道路は、国道・県道・里道の3種類で、町が管理していたのは里道です。日誌には、「指定里道」という言葉も使われています。

ちなみに、江戸時代、幕府の下で整備されてきた街道に替わり、明治になって輸送網の確保のため、まず積極的に整備されたのは鉄道でした。兵士の輸送など軍事目的が優先されたのです。関所が廃止され、人の移動や物資の輸送が自由になり、荷馬車を始めとする車両の交通量が増えたのにもかかわらず、道路の改良は地方の自治体に任せられ、予算不足で改善は遅れ続けました。近代的な道路管理のための法律「道路法」が公布されたのは、1919年(大正8年)4月10日。続いて「道路構造令」と「街路構造令」が定められ、初めて自動車交通を想定した道路の構造設定が基準として採用され、本格的な道路整備が全国で始まりました。しかし、当時、都市部では自動車が急速に普及し始めていたものの、全国的には馬車や人力車の利用、徒歩での移動が圧倒的で、実際は馬車の動きを基準とした道路整備が広く行われていたと言います。

また、1920年(大正9年)には「道路取締法」も公布されましたが、厳しい罰則は避け、指導に重点が置かれていたようです。まずは「交通安全」という認識を国民に浸透させるため、車両の左側通行・夜間は荷車などにも灯りを付けること・道路で子どもたちを遊ばせないことなどが、チラシや講習会を通じて広められて行きました。

参考

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