大正10年10月5日
10月5日(水曜日)、午前7時30分出勤。
今日も収入事務を取り扱った。
午後2時頃、蜷川新氏から所得税の件について照会があり面会した。
午後3時頃、郷土久蔵氏と共に三沢川辺りの道路修繕の箇所を踏査したうえで、鰤敷会社が材料を用いて、町道路工夫に応急工事をさせることにしたので、町長に報告したのち工事することになった。
午後4時30分、帰庁してから退庁。
解説
大正時代には、当時税制の中心と位置づけられるようになってきていた所得税に対し、社会の変化に対応するさまざまな税制改正が行われました。第一次世界大戦で多額の所得を得た者に、戦時利得税が課税される一方で、少額所得者に配慮した改正も行われ、前年の大正9年には扶養家族控除の新設や免税点の引き上げが行われました。日誌に詳細はありませんが、蜷川新氏の照会もそのような改変に伴うものだったのかもしれません。
また、工事を行うことになった三沢川は、山王町と神明町の境にある小さな川で現在はあまり目立ちませんが、当時は裏山から続く沢の風情があり、水量も豊富な清流でした。鰤敷会社は鰤(ブリ)の定置網漁を行っていた「相模漁業株式会社」のことで、調査に同行した郷土久蔵が取締役社長を務めていました。建物は川下の浜沿いにあり、川べりの道路は会社へ続く道筋でしたので、工事や建材の調達に協力したのかもしれません。
更新日:2021年10月05日