大正9年9月27日

更新日:2020年09月27日

9月27日(月曜日)、午前7時30分出勤。

本日午前9時頃、斎藤校長が役場に見える。湯口先生が辞職されるため、後任教師の選定の件で相談があった。

午前11時頃、佐藤書記は東京行の私用で早退。

渡辺・加藤両書記は、国勢調査で南下町ヘ出張。

午後3時頃、大野警部補が役場に見え、警察署に収容されている囚人の、国勢調査申告書への記入について質問を受け、回答した。

午後4時30分退庁。

解説

斎藤三郎校長は、大磯小学校の3代目の校長先生で、藤沢から赴任しました。当時の小学校の校庭は砂利が敷かれていましたが、生徒たちによって全部除けて、グラウンドを造ったそうです。それ以降、マラソンが盛んになったそうです。(『ふるさと大磯探訪』P.62)また、大正元年に大磯小学校に入学した『阿波多羅(二)』の著者、重田哲三氏は、大正の頃の大磯小学校では高等科の生徒たちが、昼休みに天秤棒とぱいすけで、二人一組で鴫立沢の下から砂利を運んで、運動場に砂利を敷いていたと、同著に書いています。(P.8-14)

国勢調査員には、調査員必携が配布されました。発行は、臨時国勢調査局となっています。初めての国勢調査に、さまざまな状況が考えられ、それらの質問に、町役場として回答しなければなりませんでした。

豆知識

1919年8月9日の助役日誌には、マラソンの金栗四三が、下関から東京まで、秋葉選手と1,200キロメートルを走破した時、鴫立沢に休憩したと書かれています。鴫立沢には休憩所が設置され、小見助役がお茶の接待をし、学校長、税務署長、学校生徒一同、有志一同が応援に行きました。1920年2月14日には、金栗の尽力もあり、第1回の箱根駅伝が行われました。

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